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■■『書籍』・・・■■
●●『芸術新潮』・・・●●
**”(1988年12月号)”**
―”特集”―
◆◆『天下のにせもの』・・・◆◆
―”実態調査・近代日本画編”―
**”(46頁)”**
★美術市場の裏側には、偽作は付き物 ――
とはいえ、実際には、めったに目にするものではない
偽作者たちが、精魂込めて描き上げた・ ”偽作の一級
品”・を一挙公開・・・!!
―”「連載」・仏像は語る・8”―
◆◆『仏師の位の話』・・・◆◆
**”西村公朝・(3ページ)”**
★西方寺・阿弥陀如来像の左足○に・「巧匠安阿弥陀仏
」・と墨書された・快慶の銘文。
★東大寺・講堂・地蔵菩薩像・右足○の・「巧匠法橋快
慶」・彫銘。
★大報恩寺・十大弟子像・右足○の・「巧匠法眼快慶」。
・墨書。
・「写真提供」・美術院。
・(3点とも)。
★快慶の息子・行慶も父と同じく・「巧匠」・の銘文を
入れた。
三十三間堂・一千一体仏のうちより。
・「写真」・飛鳥園。
■発行日=1988年12月1日。
■発行所=新潮社。
■サイズ=21×28.5cm。
■定価=1000円。
■状態。
●表紙に・多少のキズ・ヤケが有ります。
●本誌内に・多少のヤケけが見えますが
●大きなダメージは・無く
●年代的には・良い状態に思います。
◆◆注意・・・◆◆
★発行日より・経年を経て下ります。
コンディションに関わらず・古書である事を
充分に御理解の上・御入札下さい。
★神経質な方は入札をご辞退下さい・・・!!
●全・152頁・・・!!
◆本物・偽物・比較。
◆箱書きの・本物・偽物。
◆落款・印章の・本物・偽物。
◆他・・・・・。
●蒐集・資料などの・参考に・・・!!
●探されていた方は・この期会に・・・!!
●掲載案内は・抜粋して下ります・・・!!
●詳細は・Q&Aより・問い合せ下さい・・・!!
●掲載を抜粋紹介し・「タイトル」・と致します。
●数字の記載は目視です・間違いは御容赦下さい。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
■■『天下のにせもの』・・・■■
●『実態調査・近代日本画編』・・・●
★新聞社会面を、にぎわす・”贋作事件”・などはほん
の氷山の一角。
美術市場には、素人には見分けのつかない上出来のに
せものが、毎日のように持ちこまれてくる。
偽作が作られるようになれば、画家として一流という
が、一流中の一流――大観・鉄斎・玉堂・御舟・華岳
といった日本画界の頂点に位置した画家の場合、それ
こそ鑑定家も、舌を巻くような偽作が作られている。
そしてそれらは、偽作と鑑定されても、けっして破棄
されるこよはなく、美術市場を徘徊している。
そうした ”一級品” の偽作を、一拳に、誌上公開!
■■『価格も人気もトップ』・・・■■
●『”横山大観”・の場合』・・・●
★真作ならば、億単位の値がつく大観は、偽作市場の人
気も独占。
今日もまた、鑑定家のもとに、偽作を抱えた人々の列
が続く。
―”(大観の作品鑑定は・横山大観記念館)”―
―”(住所・電話番号・詳細・掲載)”―
◆『”大観”・の落款さえあれば売れた?』・・・◆
★長年にわたって日本画壇に君臨してきた横山大観は、
大家巨匠の名を欲しいままにした存在だけあって、そ
の偽作の数は想像を絶するものがある。
現在、大観作品の鑑定は、遺族らの運営による、横山
大観記念館で行っているが、大智経之館長によれば、
木曜から日曜までの開館日には、一日に6.7点も持
ち込まれることが珍しくなく、全部が偽作という日も
よくあるという。
ひどいときには、午前中に持ち込まれたその場で偽作
と鑑定した作品を、午後に別の業者が持ち込んできた
ということさえ、あったそうである。
現に、大観記念館や同記念館の評議員で、先代から大
観の表具を担当していた、遊神堂の寺内洪氏のもとを
訪れると、いつ行っても、次々に作品が持ち込まれて
くるので驚かせる。
ちなみに鑑定依頼の場合、一般の人は直接記念館に、
業者は遊神堂の方へもってくることが多いようだが、
いずれにしても最終的には記念館の鑑定メンバーで結
論を出すことにしているそうだ。
★さて、それだけの大量の偽作が出回っているわけだが
、その偽作の質を考えると、まさにピンからキリまで
といった感がある。
ことに大観の場合は、早い時期から人気画家としてあ
まねくその名を知られていただけに、たとえば戦前な
どは、片田舎の旅宿などに泊って、床の間の・「大観
」・にお目にかかることも珍しくなかった。
どうせ床の間に掛けるのなら知っている名前がいいと
いった調子で、およそ大観らしくない絵であろうと、
とにかく・「大観」・の落款が入っていれば売れてし
まうという状況が地方ではあったのだろう。
図柄は明治期の狩野派で、落款は昭和の大観のものを
模したようなアンバランスな偽作がいくらもあるとい
う。
こういう偽大観は、いってみればご愛敬という程度の
ものであるが、時代がたってくるとまじめに大観作と
信じ込んでしまう人たちも出てきて、今になって、そ
れらが大量に鑑定に持ち込まれているのだ。
一方で、レベルの高い偽物もさすがに多い。
大観の生前、すでに多くの作品が鑑定のため本人のも
とに持ち込まれていたが、中には大観がじっくり見た
あと・「俺よりうまいよ・この人は・・・・・」・と
漏らすような偽作もあったし、「これだけ描けるのな
ら、何も俺のマネを作らなてもいいのになあ」・と感
想を述べることも度々あったという。
いずれにしても、ただ・「大観」・と落款が入ってい
るだけの三流偽作を広大な裾野にして、頂点には大観
自身を唸らすほどの偽作がある。
★大観の製作点数は、1万点近くになると見られるが、
おそらく真作に匹敵する数の偽作があるのではないか
と思われる。
もちろん、そのうちの大半は低級な偽作ということに
なるが、確信犯的、意図的な偽作者郡の中には、少な
くとも二人、なかなかの技量をもった偽作者がいた。
一人はたいてい新潟方面から作品が出てくる。
もう一人は関西方面、おそらく京都の画家ではないか
と推測される。
新潟の方は、やや癖があって、見破りやすかったが、
京都の方は相当な出来で、判定に何日もかかるような
作品があったという。
昔は、掛物などを描かせれば実に手慣れてうまく描く
無名の画家がごろごろしていたのである。
こうした偽作者たちは、大観が昭和三十三年に亡くな
って以来、十年ぐらいの間は健在だったらしく、まだ
生々しい描き下ろしの偽作が出回ったりしたが、近年
は、偽作新作はあまり出ないようである。大観作品は
現在の美術市場において、価格の面でもトップに位置
する。
つい最近の東美特別展では、富士を描いた秀作に、3
億5千万円の値がついたという。
それだけに、「大観」・と落款の入った絵を手に入れ
た者が、必死の思いにかられるのも無理はない。
そして、それゆえに偽作と鑑定されても、それは破棄
されることなく、次の亡者の手に渡っていくのである。
◆真作・「暁之山」。
・昭和14年頃。
◆偽作・「月明」。
・昭和12年頃。
―(偽作の製作年については・
大観作品の画風から推定・「以下同」)―
◆『偽作はどれだ!?』・・・◆
★大観の偽物の中でもっとも多い図柄が、三保松原に富
士山という、取り合せだ。
富士山だけを描いたものより、松あり波あり、砂丘や
岩あり、といった絵柄の方が、価格が高いのである。
真作の場合、二十号ほどの、大きさで、一億五千万円
から二億円ほどの値がつくそうである。
**”(12作品掲載・解答に3作品の偽作)”**
◆「三保之不二」。
・昭和28年頃。
◆「朝陽」。
・昭和6年頃。
◆「三保之不二」。
・昭和23年頃。
◆「月明」。
・昭和4年頃。
◆「杜鵑」。
・昭和23年頃。
◆「山之朝」。
・昭和7年頃。
◆「神嶺不二山」。
・昭和15年。
◆「霊峰」。
・大正13年頃。
◆「松韻濤声」。
・昭和15年。
◆「不二霊峰」。
・昭和12年頃。
◆「松林之月」。
・昭和17年頃。
◆「三保之霊峰」。
・昭和27年頃。
◆『偽作を締め出す登録制度』・・・◆
★大観の作品鑑定は、横山大観記念館で行われているが
、真作には、鑑定登録番号が入る。
その場合、軸物ならば、下軸の裏側に直接番号が書き
込まれ、印が押される。
鑑定書を別に出すと、往々にして、それが作品と分離
し、また新たな偽作の、タネになるからだという。
鑑定には、鑑定料一万円、登録料二万円。
◆『印の違いは必ずわかる』・・・◆
★大観の箱書によく使われる、縦長の印、「上図が本物
」・を、この偽作者はよく研究しているが、印の場合
、どんなに似せようとも、線と線のあき方などを、厳
密に、同じにすることは、難しいという。
◆本物印。
◆偽物印。
◆『箱書き』・・・◆
―”画家と書家の合作による偽作”―
★素人からすると、二点の箱書きは、非常によく似て見
えるが、鑑定家には、一目瞭然で、左が、偽物と判定
できるという。
この程度の箱書きは、偽作のなかでも、出来の悪い方
だそうだ。
いずれにしろ、偽作を作るには、画家の他に書家も、
必要なのである。
◆真作。
◆偽作。
◆『落款』・・・◆
―”落款印でばれた偽作”―
★偽落款を、押さなければ、偽作も、偽作にはならない。
偽落款は、偽作の存在証明ともいえる。
右側が偽作で、なかなかの、出来映えだが大観は、縦
長の印を、落款に使う事は滅多になかった。
◆真作。
◆偽作。
★大観の作品は、横山大観記念館で行っているが、真作
には鑑定登録番号が入れられる。
その場合、掛軸ならば下軸の裏側に直接番号が書きこ
まれ、印が押される。
鑑定書を別に出すと往々にしてそれが作品と分離し、
また新たな偽作のタネになったという。
鑑定には、鑑定料1万円・登録料2万円が必要。
■■『生涯作品・2万点』・・・■■
●『”川合玉堂”・の場合』・・・●
★偽作の多さが災し、価格評価の、低かった玉堂だが、
鑑定家登録 制度の導入によって、価格は一気に上昇!
―”(鑑定など・玉堂美術館)”―
―”(住所・電話番号・詳細・記載)”―
◆真作・「鵜飼」。
・昭和20年。
◆偽作・「鵜飼」。
■■『鑑定家を悩ます複製 ”巧芸画”』・・・■■
★各画家の鑑定について、美術界、主に画商たちが一致
して・「この人の鑑定ならば」・と認める鑑定人を・
”所定の鑑定人”・という。
多くは遺族であり、またその画家の弟子が引き受ける
こともよくある。
いずれにしても、当の画家の仕事ぶりや作品について
熟知している人たちが鑑定人というわけである。
今回、多くの鑑定人を取材して、真偽の判定が難しい
ものとして必ず挙がったのが、複製画である。
通常、巧芸画とか巧芸版と呼ばれ、現在数万円から数
十万円で手に入る。
★略・・・・・。
★大正初期、大塚工藝社の創立者大塚稔が、横山大観の
・「山四趣」・の巧芸画を試作し大観に見せたところ
、大観はその出来映えの素晴らしさにすっかり喜んで
、とうとう原画と巧芸画の比較展示まで行った。
巧芸画に入れこんだ大観は、さらに自らが使用してい
る、乾隆御墨まで与えたという。
そうなると墨色までまったく原画と同じになってしま
い、真偽の判断のつかないものが作られるようになっ
てしまう。
当時は真偽問題が後になって起こるなどとは思っても
いなかったのだろう。
素晴らしい技術が生まれたことを、単純に画家たちも
歓迎していたのである。
こうして巧芸画は各社から出るようになり、大観に限
らず、多くの日本人画家たちに受け入れられていった。
また、まだ著作権などという考え方もなかった時代で
あるから、画家本人もどの作品が巧芸画になっている
のか管理していなかったし、作品の所蔵家が画家に断
ることなく贈答品用に作らせたりしたいうこともあっ
て、画家にもよるが、どの作品が巧芸画になっている
のかわからないというのが現状である。
最初に巧芸画を手に入れた人は、もちろん複製だと知
っていても、年月がたつにつれて、巧芸画もいい具合
にやけて一層それらしくなってくる。
回り回って真作と思い込む人もでてくるし、実際真作
として売買されるようになることも生じてしまった。
大観自身、鑑定を求められて、巧芸画を真作としてし
まったことが一度あるし、御舟の鑑定人であった、吉
田幸三郎もひっかかったことがあるという。今も、鑑
定人の中には・「いつ自分が間違えるか、こわくてし
ょうがない」・と語る人もいる。
★真偽問題の生じる巧芸画は、だいたい戦前に作られた
ものである。
巧芸画は、裏を見ると墨のにじみが出ないのでそれと
わかるのだが、表装してあるとバラす以外どうにもな
らない。
また色紙などは、裏側に・「巧芸版」・と入っていて
も、絵を剥して別の台氏にはられてしまうと、お手上
げである。
本来は、落款印のところを巧芸画は二重枠にするなど
という取り決めがあったのだが、中には本物の印を押
しているものもあるから、鑑定家も悩まされるわけで
ある。
★略・・・・・。
■■『にせ画家まで現れた』・・・■■
●『”富岡鉄斎”・の場合』・・・●
★『鉄斎と聞けば、偽物だと疑え』、とまでいわれる、
鉄斎。
大がかりな、偽作販売組織まで現れて・・・。
”珠玉の偽作” コレクションを特別公開・・・・!!
―”(鑑定など・鉄斎美術館・野垣長春堂)”―
―”(住所・電話番号・詳細・記載)”―
◆『鉄斎に保証なし?』・・・◆
★明治十年代から大正十三年末に数えの八十九歳に亡く
なるまで、文人画の世界に独特な立場を築いた、富岡
鉄斎ほど偽作について云々されてきた画家はいないだ
ろう。
もともと国学・漢学を学び、文人のたしなみとして絵
をはじめた鉄斎は、流派を選ばず広く先人の画業に学
んだ独学の画人である。
もっぱら絵や書で身を立てるようになってからも、展
覧会に出品して賞状を取るというようなことをせず、
画商を通すということもなかった。
権威に頼らず、あくまでも自然にその絵が世に知られ
て盛名が高まり、画人として人気を得ていったのであ
る。
いわゆる美術界から離れたところに身をおき、求めら
れるままに直接作品を譲るという形で画業を続けた鉄
斎の場合、まずその製作点数がどれほどであるかが定
かでない。
何しろ、一日で絹本七十枚を描いたという記録がある
ほどで、画家として非常に人気が非常に高まった、七
十歳代の十年間に限っても、子息の故謙蔵氏が記録し
ただけで三千点とか。
画帖などの数え方にもよるが、一万点を優に超え、二
万点はるのではないかと推測されている。
また本人が広く全国を放浪して各地で描いているので
、どこから鉄斎画が出てきても不思議は無い。
★こういう鉄斎画の状況が偽作者たちに狙われないわけ
がない。
すでに、四〇歳代には偽作が現れ、本人の製作点数以
上の偽作がはびこっているといわれる。
作品の偽作だけではない。
画家本人のにせ物まで各地に現れ・「鉄斎先生が目の
前で描いてくれたものだから偽作のはずがない」・と
言い張る偽作所蔵者もいたそうである。
こういうわけで、かつては・「鉄斎に保証なし」・と
などといわれたが・・・・・。
◆真作・「十牛図意図」・(同・箱)。
・大正5年。
◆偽作・「十牛図意図」・(同・箱)。
◆真作・「幽渓漁隠図」・(同・箱)。
・大正6年。
◆偽作・「幽渓漁隠図」・(同・箱)。
・ただし箱書きは真作。
◆真作・「空谷君子図」・(同・箱)。
・明治30年代。
◆偽作・「空谷君子図」。
◆『傍若無人な偽作者たち』・・・◆
★鉄斎偽作の一つの特徴として、真作とほとんど同図の
ものが目立つということがいえる。
ここに図版として紹介したものなどは、並べて比べて
みれば、なるほど多少の違いも見えてくるが、もちろ
ん素人には真偽の判定はこんなんだろう。
同じ図柄をまねた偽作は鉄斎の晩年に大阪高島屋で毎
年開かれた、鉄斎個展の出品作に目立つという。
その偽作の出来から見ても、真作を見ながら作った偽
作で間違いないという。
つまり、展覧会か表具師の関係者の手引きがなければ
できないような偽作であるということだ。
もっとも鉄斎の場合、同図だからといって、片方が必
ず偽作とはいえないところがまた難しい。
現に若い頃、女流歌人、太田垣蓮月尼の依頼で同じ図
柄の絵を何枚かまとめて描いた記録があり、その後も
同図のものを描かなかったとはいいきれないからであ
る。
しかし、いずれにしても鉄斎の偽作は、こっそりと作
られていたというより、何かあたりを憚ることなく実
に過激に作られていたという感じがする。
個展の関係者という身近なところにまで偽作グループ
の手がのびていたと推測されることもその一例だが、
鉄斎夫人の故郷で鉄斎も何度も訪れた愛媛などでは・
「伊予鉄斎」・と称される同一偽作者の手になるらし
い、数百点もの偽作があるというし、信州飯田あたり
にも、また別の偽作者による大量の偽作が出回ってい
た。
画家のにせ者が本人になりすまして、購入者の目の前
で堂々と偽作を描いてみせたり、さらには、鉄斎研究
の第一人者と知られる小根高太郎氏のにせ者まで現れ
て、鉄斎作品の鑑定をしていたという話まである。
とにかくやりたい放題にやられていて、鉄斎の偽作エ
ピソードは数挙にいとまがないほどに豊富である。
こうしたことは、鉄斎の幅広い人気を物語っている。
と同時に、鉄斎の存在があまりに大きく突出していて
、おそらく同時期に各地に相当数いたであろう無名の
南画家たちは世に出る機会を得られず、結局、巨人鉄
斎の飯のタネにする以外、画技をいかす道がなかった
のかもしれないと思わされるのである。
◆真作・「山居静観図」・(同・箱)。
・大正5年。
◆偽作・「山居静観図」・(同・箱)。
◆真作・「竹林銷夏図」。
・明治8年~17年頃。
◆偽作・「竹林銷夏図」。
◆『販売促進用 ”豪華にせ画集”』・・・◆
―”偽作画集・『煙霞帖』”―
★清荒人清澄寺が設立した、鉄斎研究所主催の鑑定会が
、昨年、刈谷市で開催された際のこと、偽作と鑑定さ
れた、作品の所有者が抗議をしてきた。
「これが、偽作のはずがない。この画集に掲載されて
いる作品なのだから」・という。
の人が手にする画集は、『煙霞帖・昌碩題』・とあり
、和綴じ、コロタイプの印刷のなかなか立派な、鉄斎
作品の画集であった。
が、奥付けを見ると・「非売品」・という朱印が押さ
れている以外には、何も記されていない。
いったい誰が、どこから発行したのか皆目見当が、つ
かないのである。
それにして何よも、この画集に掲載された、50点ほ
どの、鉄斎作品は、すべて専門家が見れば、一目で偽
作とわかる代物であった。
ここにその一部を紹介しよう・(略)・・・。
それにしても、この偽物画集は相当大がかりな、偽作
組織があったことが想像される。
はっきりとした証拠はないのだが、清澄寺の坂本光聰
法主は、昭和17年から19年頃、大阪・名古屋・東
京で開かれた、鉄斎作品の即売展が、この組織による
ものではなかったかと推測している。
つまりこの、偽作画集は、その即売展の出品目録とし
て作られたものではないかと想像されるのである。
◆『鉄斎鑑定の現状』・・・◆
★現在、鉄斎作品鑑定のは、鉄斎の孫富岡益太郎の手に
よって行われている。
慎重にまた厳密に鑑定を行うと定評のある、益太郎氏
だが、それだけに高齢のこともあって鑑定依頼を一人
でさばくわけにもいかない。
そこで、京都の表具師長春堂の野垣安男氏がまず受け
て、はっきりと偽作と判断のつくものを除き、真作な
いしは鑑定の難しいものだけを、益太郎氏が鑑定して
鑑定書を出すという方法がとられている。
この鑑定書は、その作品のコロタイプ写真版の裏側に
益太郎氏の極めが書き込まれているという形式で、な
かなか凝ったものだ。
鑑定書が作品と別に出されると、往々にして作品と分
離し、偽作にくっついて出回るということがあるが、
この形式だとまずそういう心配はない。
また、鉄斎作品・約千点を所蔵する清荒神清澄寺の役
割も大きい。
鉄斎研究を擁し、昭和五十年には聖光殿鉄斎美術館を
設立、各地で開催される鉄斎展の折には、会場で・「
鉄斎研究会」・を催してその地の所蔵家のための鑑定
も行っている。
これが、偽作追放の目的はもちろんだが、同時に所在
の知れない鉄斎作品を広く求める機会にもなっている。
また、美術館の機関誌・『鉄斎研究』・では、真作と
された作品 が掲載され、現在までに約二千点ほどが誌
上で掲載されてきた。
こうして真贋入りの混じった膨大な鉄斎作品も、徐々
にではあるが、着実にその真偽が選り分けられている
のである。
★「富岡鉄斎展」・開催地における・『鉄斎研究会』・
鑑定記録。
―開催年月日・開催場所・作品持込人数・作品持込
点数・内訳・(真作・相剥本・偽作・その他)―
◆『蓋裏の箱書』・・・◆
**”6点”**
◆「山居静観図」・の偽作。
◆「山居静観図」・の真作。
◆「十牛図意図」・の偽作。
◆「十牛図意図」・の真作。
◆「幽渓漁隠図」・の偽作についていた真作
箱書。
◆「幽渓漁隠図」・の真作。
★偽作についてはいずれも、相当な手足れが箱書きをし
ている!!
◆『相剥本』・・・◆
―”一枚の本物が二枚になる”―
★偽作者たちが考えた、一点で二度儲ける、偽作市場の
錬金術。
★偽作ではない、けれども真作とはいえない。
――巧芸画と並んで真偽部分の灰色の部分に属するも
のに、相剥本といわれるものがある。
どういうものかというと、紙に描かれた墨画を図のよ
うに薄く剥いで二枚にしてしまったものをいう。
もちろん上側は真作で、下から現れるのが相剥本であ
る。
これは紙で描かれた墨画でないとできない。
顔料だと紙の上にのっているだけの状態だが、墨は紙
に染み込んでいるので、まったく同じ絵柄がそっくり
紙の下層にまでうつりこむのである。
色墨も同様である。
また紙なら何でもいいというわけではなく、玉版箋と
いう中国産の厚手の紙でないと、このように剥ぐこと
はできない。
それも昔玉版箋でないとだめらしい。
紙を剥ぐという技術は表具師のものである。
表具師でも腕のたつ者でないと相剥本は作れない。
剥ぐ途中で、少々紙が破れたとしても、素人が見てま
ったくわからないように補修することさえできるとい
う。
悪徳表具師がこっそり剥いで、それを裏打して表具仕
立てにしてしまえば、紙が薄くなったかどうかは、ま
ったくわからない。
しかしながら、真作部分と同じ絵柄がうつりこんでい
るとしても、真作部分に比べれば墨色は少し薄くなる。
また細い線描く部分もはかすれが出たり、途切れたり
もする。
こういうことから、業界用語で、相剥本にことを・「
ひこうき」・ともいうそうである。
「ひこうき」・とは、もともとはお茶に使う言葉で、
薄いお茶はサッと素早く出るので・「飛行機」・のよ
うだという。
ところから生まれた用語らしいが、要するに味がない
、薄いという意味の転用である。
★また相剥本を見分けるもう一つのポイントが朱印。
朱印だけは下層にうつりこまないにで、相剥本をを真
作として流す場合、印だけは新たに押さなかればなら
ない。
だから本来その画家が使っている印かどうかが艦艇の
規準になってくる。
相剥本が出回っている画家としては、富岡鉄斎と小川
芋銭があげられる。
鉄斎の場合は、概して墨色の濃いもので、真作と相剥
本の違いもまだわかりやすいというが、芋銭は、もと
もとが淡い調子の描法なので非常に判定が難しいらし
い。
また印の鑑定も、芋銭の印そのものがくっきりした明
瞭な印で一層わかりにくいそうだ。
★しかし、はたして相剥本は偽作なのだろうか。
別人が真作をまねて描いたものではない。
その絵柄自体は、まさに本人のものなのである。
★現状を考えてみると、まず相剥本であるとその正体を
はっきり見破ること自体が非常に難しい。
印の鑑定から真作ではないと判断されることはあるの
だろうが、相剥本であるかどうかは、真作と並べてみ
ないと多分わからないだろう。
そういう機会がまず滅多にない。
真作が有名な作品で所蔵先がはっきりしているという
ようなことがなければ、通常の取引きの場で相剥本が
出てきても、それとわかるわけではないのだ。
そうなると、鑑定世界で、いくら相剥本はあくまでも
真作ではないといってみても、現実に流通してしまっ
ているものが相当あると推測される。
そしてそれらが真作と並べられることがなければ、相
剥本であることはわからないのだから、永久に真作と
して通ってしまうだろう。
現に画商間では・「ひこうきはひこうきなりの価格で
通る」・という。
つまり、真作とは紙一重の差があるといえ、画家本人
が描いた絵であることは間違いないので、出来のあま
りよくない作品の価格で取引されるというのである。
★だが、相剥本は偽作でなないとしても、そしていくら
価格がついて流通するにしても、それが真にその画家
の技量を発揮した作品でないことはいうまでもない。
そして同時に、真作の領域にほとんど入り込んでしま
った相剥本という不思議な存在ほど、偽作の世界が一
筋縄ではいかない奥深いものであることを感じさせる
ものはない。
―”(相剥本の作り方)”―
★画家が厚手の画紙、たとえば中国産の玉版箋などを用
いて絵を描いたとする。
そのような場合、表具の心得さえあれば、一枚の紙を
上層と下層とに剥ぎとることができるともいう。
墨を使って描いてあれば、紙の下層にも墨はにじんで
いる。
上層の真作に比べれば薄くかすれるところもできるが
、ほとんどそっくりの絵が、おやまあ、もう一枚とれ
てしまう。
・(イラスト・笠原正夫)。
◆真作・「普陀落山観世音菩薩像」。
・大正9年。
◆相剥本・「普陀落山観世音菩薩像」。
■■『真面目な偽作!?』・・・■■
●『”村上華岳”・の場合』・・・●
★ここまでくれば、真作には劣らない・目利きも・驚く
ほどの技量。
偽作にしておくのは・もったいない・迫真の・”偽作
”・があった。
◆真作・「菩薩半跏像」。
・制作年不詳。
・真作の落款部分拡大。
◆偽作・「菩薩半跏像」。
・偽作の落款部分拡大。
■■『偽作の技量が問われる』・・・■■
●『”速水御舟”・の場合』・・・●
★残した作品の少なさと・その卓越した技量に・偽作者
も・四苦八 苦。
偽作の多さに・辟易した鑑定家が・”偽作指名手配画
集”・まで刊行した。
◆真作・「木瓜」。
・昭和7年。
◆偽作・「木瓜」。
◆真作・「百舌巣」。
・大正14年。
◆偽作・「百舌巣」。
◆偽作・「縞栗鼠」。
◆『鑑定家も驚いた迫真の偽作』・・・◆
◆真作・「鴫柿実」。
・昭和4年。
◆偽作・「鴫柿実」。
◆偽作・追放のための画集・『紫朱』・・・!!
■■『箱書きについて』・・・■■
**”吉田耕三郎”**
◆『真似やすい? 古径の箱書き』・・・◆
★御舟の作品鑑定は、吉田幸三郎が行っていたが、その
箱書きは、生前、御舟と親交のあった、小林古径、安
田靫彦の二人が、引受けていた。
そのあたりの事情を心得て、二人の名で箱書きをする
、偽作者も出てきた。
これは、古径を真似た箱書がついた・『鮠』・の偽作
だが、箱書の偽作は古径の字のほうが真似しやすいせ
いか・『紫朱』・には靫彦の箱書は、一点も出ていな
い。
★昭和10年以来、古径・靫彦の御両所が、御舟作品に
箱書をして、下すった数は・・・。
★小林古径氏・約200余。
★安田靫彦氏・約60余。
★偽作には、古径さんの箱書の偽作がついているものが
多く、その実例の写真を御覧に入れてありますが・「
古径」・という落款は古径さんの本物の箱書から似せ
て書いてありますので、或る程度はよく出来て居りま
すが、画題の方は御手本がありませんので、まったく
駄目で御座います。
このことは今後も充分に御注意下さるように御願いし
ます。
◆真作・「赤絵の鉢にトマト」・(御舟作)。
・大正10年。
◆偽作・「赤絵の鉢にトマト」・(御舟作)。
・昭和42年10月24日鑑定。
・昭和43年 7月11日鑑定。
◆偽作・「赤絵の鉢にトマト」・(御舟作)。
・昭和44年 4月6日鑑定。
◆『偽作者に好まれた・花・鳥・静物』・・・◆
**”(約・17点)”**
★ここに掲載した作品は、カラーの二点・(柿・大正1
2年・春の宵・双幅のうち・昭和9年・ともに山種美
術館蔵)・以外はすべて、「紫朱」・に掲載された偽
作である。
本物と寸分違わぬ構図のものから、ある程度アレンジ
したもの、全く創作と思われるものなどの作風も様々
だが、総じて花鳥画が多いのは、偽作者にとって真似
しやすく、買手にも人気があり、そして偽作であるこ
とが露見しにくかったためであろう。
■■『鑑定の思い出』■■
**””吉田幸三郎**
●トラックにのってきた屏風。
●贋作裁判。
★御舟鑑定のため東京地方裁判所に呼び出された事件
がありました。
・(中略)・鑑定事項は小林古径箱書と御舟の落款
がある・「洛路秋」・と称する風景絵巻で、この巻
物を担保にして金銭貸借の紛争事件が起り鑑定の必
要が生じた為とのことでした。
法廷で鑑定する前にはその作品を見ることは許され
ないのですが・「洛路秋」・という名称から、どう
も小林柯白君が大正十三年の美術院に出展した・「
八瀬大原」・の長巻のような予感がしてなりません
ので、私は早速美術院に行き、菱田さんにお願いし
て第十一回院展の出品画冊を拝見し、特別の御はか
らいで画冊を拝借して参りました。
当日二時裁判所に出頭いたしました。
(中略)・そこで巻物が開陳されましたが私の予感
通り、柯白君の・「八瀬大原」・でした。
これは京都の出町から大原の奥までを朝から夕方ま
での時間の変化をつけた風景絵巻の大作で、巻末に
あった柯白君の落款の部分を切り捨てて、御舟の落
款を入れたもので、巻末が夕霞にぼかしてあるので
、その部分をうまく切りつめてあるのでした。
私は・(中略)・これは御舟の作品ではありません
と申しました。
・(中略)・私はこれははっきりとした証拠を見せ
てやる方がいいと考えましたので、この作品の調書
を見せてもらうことにしました。
ところがまことに不思議なことにその巻物の寸法が
美術院の画冊に記載してある・「八瀬大原」・の巾
一尺七寸・丈五九尺一寸と全く同じでありまして・
「洛路秋」・の寸法は実際には測っていないことが
分かりました。
そこで私はこの作品は調書より長さの寸法が一尺一
二寸短いかと思いますと申しますと裁判官はじめ原
告側被告側とも非常に驚きまして早速その場で測る
ことになりましたが私の言う通り一尺一寸程短いこ
とが分かりました。
そこで私は美術院の出品画冊を関係者一同に見せま
して、この作品が、小林柯白氏の・「八瀬大原」・
であることとその巻末の切りとり部分も明白になり
、また古径氏もこの作品は院展でご覧になって居る
のでありますから、御舟作と箱書をなさる訳がない
ことも分かり、私の鑑定事項の責任は充分はたすこ
とが出来ました。
●鑑定なぞ大きなお世話。
●二人の大馬鹿者。
■■『東京美術倶楽部鑑定委員会・鑑定作家一覧』■■
★美術品の売買が、安心して行われるように、画商自ら
が組織した、東京美術倶楽部鑑定委員会。
―”(鑑定作家の名前など・掲載)”―
■■『偽作、質流れ・”日本画”』・・・■■
★目利きの敵は ”欲”。
◆山口蓬春・「秋意」・の偽作。
・偽作の鑑定シール。
・落款印・拡大。
◆熊谷守一・「しいたけ」・の偽作。
★本物に付された鑑定シールを剥がし、再
度本物を鑑
定にもちこんで、シールを得るといった
手口で、偽作・量産された。
・落款印・拡大。
◆川端龍子・「遊鯉」・「秋籬」・の偽作。
・落款印・拡大。
■■『偽作、質流れ・洋画編』・・・■■
◆岸田劉生・「麗子五歳の像」・の偽作。
◆宮永岳彦・「貴美人の図」・の偽作。
◆林武・「デッサン」・の偽作。
■■『他』・・・■■
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