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★本品は、柴窯の特徴とされる要素を多数備えています。
書籍「柴窯考」で詳解しましたように、本品が柴窯である可能性は非常に高いと判断できます。
柴窯が幻とされているのは、柴窯の特徴を現代人感覚で判断・想像してしまう為であり、
あくまでも、客観的に、当時の現実に基づいて洞察をしないことが原因だと思われます。
現代人の理想ばかりが膨らんでしまい、現実離れしたもの(時に神がかりにも及ぶ)を想像してしまうことから離れ、
まずは固定観念を白紙に戻し、過去文献を丹念に考察し実物と比較することこそが
柴窯を見いだすうえで、必須だと思います。
できるだけ多くの皆様に、ご覧いただきたいので高額価格を設定しています。
本品サイズ:口径 約 21.7cm 重量 約 280g
柴窯について詳細に考察した書籍「柴窯考」が完成致しました。
本品の理解を深めて頂くためにも、是非、参考にしていただけましたら幸いです。
自著:柴窯考より
「柴窯は『雨過天青』色をした幻のやきものとされているが、青磁ではなく青瓷である。
青瓷には青磁(磁器)と青釉陶器(低火度彩釉陶)の両者が含まれる。
過去の諸文献をもとに考察すれば、柴窯はペルシア彩釉陶(ペルシア青釉陶)と関係が深い唐三彩と同系列の低火度彩釉陶であったと推測できる。
紀元前14世紀の殷時代に出現した高火度灰釉(自然釉から発展した灰釉)を利用する技術が、中国の伝統的な製陶技術として発展し、朝鮮・日本・東アジアさらには16世紀以降に欧州の一部にまで拡がった。
それに対して西アジアでは、ガラス質低火度釉の技術発展に終始し、その製陶技術は中世以降、南欧州にまで拡がった。
世界帝国であった大唐帝国では西アジアとの交流が大変盛んだったが、ペルシア陶器と同類である低火度彩釉陶の唐三彩も西アジアとの貿易・交流によって大きな影響を受けた。そして西アジアで大いに好まれていたペルシア青釉陶器は、唐代に中国に伝来しており(中国揚州唐城から粗い素地に孔雀藍釉のかかった9~10世紀のペルシア陶器が出土している)それはまさに「雨過天青」にふさわしい鮮烈な青色の陶器である。そしてその青釉の艶はまるで油を塗ったかのようであり、また鏡のような光沢を持っている。
しかし五代十国の後周時代になっても、中国にはペルシア青釉陶器作製のために必要な技術や素材は十分に伝来していなかったと推測され、そのため、当時、中国で入手できる材料や既得の陶芸技術を利用・改良し「雨過天青」の象徴である「柴窯」という中国独自の低火度彩釉陶を創出したと考えられる。
後周時代には、すでに磁器の焼成が可能だった。しかし、柴窯というやきものに於いてはペルシャンブルーのような鮮烈な青色を創出する為に、低火度釉の利用が必須であり、その為に柴窯は彩釉陶器として創出されたのではないかということが推測できる。また、それと同時に胎土を焼き締めすぎると釉薬のかかりが悪くなると言う事情もあるために、やはり陶器であることが必然だったことが推測される。そしてさらに言えば、陶器であるにもかかわらず極限まで薄手に仕上げたことが「紙の如し」という表現につながったとも言えるだろう。
また柴窯には「叩くと古代楽器の馨のような音がする」という特徴があるが、馨とはある程度の厚みがある石を吊したものを棒で叩く楽器なので、馨の出す音色は磁器のようなチーンという高音ではなく、むしろ少し低めの温かみのある音を出す。つまり磁器ではなく陶器だからこそ、そのような馨の音色に近い音を出すのだ。(一般に馨が出す音について磁器が出すような「高音」だという思いこみがあることも、柴窯の真相を理解するうえで大きな妨げになっていると思われる。)
柴窯は大まかに言って以上のような特徴を持つとされているが、今回、この拙著で紹介する紺碧の大碗(低火度彩釉陶器)は、それら全ての特徴を持ち合わせている。
次に、柴窯が現在まで未発見である理由を考えると、以下の二つの要因が関係していると思われる。
一つ目は、窯が存在したとされる鄭州(もしくは開封)は、黄河の氾濫による水害をしばしば被るような地域であること。(泥沙を大量に含んだ黄河は、文字記録が残る二千数百年の間に、平均すると3年に2回という頻度で氾濫したといわれている)
二つ目は、低火度釉のやきものを焼成する場合、美しい釉色を得る為に小型の窯を使用し窯内温度の調整・管理を厳密に行う必要があるので、柴窯はごく小規模な窯だったと推測できることだ。
その二つの要因を考慮すると、柴窯というごく小規模だった窯は、過去に頻繁に起きた黄河の氾濫により、破壊され泥流に飲み込まれ埋もれてしまった可能性が非常に高い。
であれば、現在では柴窯址の発見は、ほぼ不可能に近い状況になってしまっているということが推測できる。
柴窯雖然被視為「雨過天青」顏色的幻影般的陶器,但它不是青磁而是青瓷。
青瓷包含了青磁(瓷器)和青釉陶器(低彩釉陶)兩種。
根據過去的文獻考察,柴窯可以推測是與波斯彩釉陶(波斯青釉陶)密切相關的唐三彩同系列的低彩釉陶。
在公元前一四世紀殷代出現的利用高灰釉(從自然釉發展而來的灰釉)的技術,作為中國傳統陶藝技術發展起來,傳播到朝鮮・日本・東亞,甚至是一六世紀後的歐洲部分地區。
相比之下,在西亞地區,始終發展玻璃質低彩釉的技術,這項陶藝技術從中世紀以後,一直傳播到南歐。
曾經是世界帝國的唐朝,與西亞地區的交流非常活躍,與波斯陶器同類的低彩釉陶瓷的唐三彩也因為與西亞地區的貿易・交流受到了重大影響。而在西亞地區非常受歡迎的波斯青釉陶瓷,它在唐代傳入中國(從中國揚州出土粗胚土施有孔雀藍釉薬的9~10世紀的波斯陶器),這種陶正如「雨過天青」色彩鮮的藍色陶器。此外,青釉的光澤就像是塗了油一樣,又像是鏡子一樣的光澤。
然而,即使在五代十國・後周時期,據推測中國仍然未完全獲得製造波斯青釉陶瓷所需的技術和原材料。因此,推測當時的中國是利用・改良可以取得的材料以及既有的陶藝技術,創造了象著「雨過天青」,稱為「柴窯」的中國獨創的低彩釉陶瓷。
在後周時代,已經能燒製瓷器
然而,在柴窯這種陶瓷中,為了創造出類似波斯藍色的鮮青色,必須使用低彩釉,因此推測柴窯是作為彩釉陶瓷而創造出來的。同時,過度燒製胚土會使釉料附著不良,因此這也必須是陶器的原因。此外,儘管是陶器,將其製成極薄,正是「如同紙張」的表現。
此外,柴窯具有「敲打時會發出像古代樂器馨一樣的聲音」的特點,馨是懸掛著一定厚度的石頭並用棍子敲的樂器,所以馨發出的音色並不像瓷器那樣清脆的高音,而是帶有些許低音的暖聲音。換句話,正因為不是瓷器而是陶器,才能發出接近馨音色的聲音。(一般對於馨發出得聲音,會誤認為是像瓷器那樣的「高音」,這也是對於要理解柴窯的真相造成很大的障礙。)
柴窯大致上具有以上特。這次在這本書中介紹的碧藍色的低彩釉陶器具備了所有這些特。
此外,思考為何柴窯至今仍未被發現,我認為以下兩個因素可能相關。
首先,被認為是柴窯存在的鄭州,這個地區常常受到河洪水的侵襲。(河含有大量泥沙,在保有文獻記的兩千多年間,平均三年就發生兩次洪水。)
其次,燒製低釉陶的時候,為了獲得美麗的釉色,需要在小型的窯爐嚴格控制和調節度,因此推測柴窯是一個非常小型的窯爐。
考量這兩個因素,由於過去頻繁發生的河洪水,柴窯這種小型窯爐很有可能被破壞,掩埋於泥漿。
若是如此,可以推測現今要發現柴窯址是幾乎不可能的。
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