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- 拍卖号: u1152710543
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ご覧いただきありがとうございます。今回出品する品物は、写真の刀です。
銃砲刀剣類登録証番号 東京都 第8923号
種別 刀
長さ 二尺0寸五分五厘
反り 二分五厘
目くぎ穴 一個半
元幅約3.1センチ 元重約0.8センチ
先幅約2.4センチ
刀身だけの重量約710グラム
銘 摺上無銘 (肥前初代忠吉)
東京都大名登録刀の「肥前国忠吉(初代)」の御刀です。
東京都の文化財保護委員会の昭和26年の大名登録刀ですが、ほかの県の大名登録刀と
は別格で、東京都の大名登録刀は財閥や大名家や伯爵などの御家の御刀とされ、日本の
国宝や重要文化財に指定されている刀が多いです。
こちらの御刀は、明治二十七年には本阿弥親善により「山城国来国光」と鑑定された御
刀で、平成11年に日本美術刀剣保存協会により「肥前初代忠吉」と鑑定された名刀です。
大摺上げで、棒樋が入り鎬造りの直刃です。肌は良く積まれ梨地肌の見事な肌です。姿
は来国光を彷彿させる素晴らしい出来で、来国光といえる刀であります。
保存刀件鑑定書付きで、肥前初代忠吉ですので、肥前の名工で新刀最上作にして最上大
業物で、鍋島藩のお抱え鍛冶をして、肥前刀の最高刀匠です。
状態は少しの薄錆跡はありますが、もともとは最上研ぎで、刃こぼれやハギレはありま
せん。ハバキも銀着せ金着せの二重ハバキで最高級ハバキです。
白鞘は明治期の古い時代の鞘ですので補修跡がありますが、本阿弥の極め付の貴重な鞘です。
来国光(らいくにみつ)
「来派」(らいは)に属していた「国光」は、一般的には流派名を冠して「来国光」(ら
いくにみつ)と呼ばれる刀工です。山城国(現在の京都府南部)で作刀に携わり、通説で
は、「来国俊」(らいくにとし)の嫡男と伝わっています。
しかし、来国俊の次男や弟、孫とする説や、「来国行」(らいくにゆき)、もしくは「来
国秀」(らいくにひで)の子であるとする説、「来国友」(らいくにとも)の弟子である
とする説など、数多くの異説があるのです。
通称に関しても、「兵衛」(ひょうえ)や「兵衛尉」(ひょうえのじょう)、「次郎兵衛
」(じろうひょうえ)など、諸説紛々(しょせつふんぶん:様々な説が入り乱れ、まとま
っていない様子)の状況。このように来国光は、謎の多い刀工なのです。
江戸時代後期に書かれた「校正古刀銘鑑」などの刀剣書によると、来国光の作例には、
「正和二年」(1313年)と「貞治二年」(1363年)の年紀銘を切った刀の存在があること
が分かっています。この2振から窺えるのは、来国光の作刀期間が50年にも亘っていたとい
うこと。しかし、ひとりの刀工としては年数が長すぎるため、来国光には、初代と2代がい
る説が、古くから提唱されてきました。ただし、初代と2代の区切りに関しては刀剣書によ
って異なり、その移行期は、鎌倉時代末期、もしくは室町時代初期とする説などが複数あ
ります。
結論は現在も出ていませんが、現存する作例を見ると、南北朝時代を境に作風の変化が示
されていることから、現在は建武年間(1334~1338年)に、初代から2代への移行があった
との説が有力視されているのです。
刀工は通常、自分の得意な作風を前面に押し出して作刀しますが、初代 来国光には、その
ような傾向は見られません。
これが窺えるのは、例えば刀身の身幅(みはば)。太刀、及び短刀において、身幅の広い作
例と狭い作例の両方があります。
刃文も同様で、「直刃」(すぐは)もあれば、「乱刃/乱れ刃」(みだれば)も見られるの
です。
肥前国忠吉(初代)新刀最上作・最上大業物
「慶長新刀」(けいちょうしんとう)の祖と呼ばれる「埋忠明寿」(うめただみょうじゅ)
に師事した「忠吉」(ただよし)は、肥前国(現在の佐賀県、及び長崎県)の戦国大名「龍
造寺隆信」(りゅうぞうじたかのぶ)に仕えた重臣の家に生まれました。
しかし、父が「島津家」との戦いで戦死。忠吉は、「加藤清正」に召し抱えられていた刀工「
同田貫善兵衛」(どうだぬきぜんべえ)の家に預けられ、ここで約13年間にわたり、鍛刀を学
んだことで刀工として道を歩み始めます。
1596年(文禄5年/慶長元年)、佐賀藩(現在の佐賀県)初代藩主「鍋島勝茂」(なべしまか
つしげ)の命で上京し、名工・埋忠明寿の門下として技術を磨くと、1598年(慶長3年)に帰国。
以降、佐賀藩の藩工として作刀に励みます。
元来誠実な人物だったため師匠からの信頼も厚く、忠吉が鍛えた一部の日本刀における「茎」
(なかご)には、師匠が称賛を込めた彫刻や添銘が見られます。
技量も当代随一との呼び声が高く、江戸時代の刀剣格付書「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく
)では、最上位である「最上大業物」(さいじょうおおわざもの)に選定されました。
個性派揃いの慶長新刀の中でも、特に名手であったと評される名工です。
もちろん、東京都の教育委員会に確認済みの大名登録刀で間違いありません。日本美術刀剣保存
協会にも現物確認しましたので、保存刀剣鑑定書も本物保証ですので、ご安心ください。
後は写真と画像を見て判断下さい質問はわかる範囲でお答えしますので、入札前にお願いします。
発送はゆうパックの着払いです。
※注意事項※落札しましたら、登録のある教育委員会に名義変更届を出してください。
よろしくお願いします。