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歴史
古代
瀋陽の歴史は大変古く、7200年前には定住集落(新楽遺跡)があったことが知られている。その後はしばらく地域の重要地方都市的な位置にあった。
遼代は瀋州が置かれ、元代には瀋陽路、明代には瀋陽中衛が設置された。
清朝
17世紀初、サルフの戦いに勝利した満洲族のヌルハチは後金を建国、瀋陽を都城と定め、1634年(天聡8年)には盛京(せいけい[2][3]又はせいきょう[4]、満洲語:mukden hoton、ムクデン・ホトン)と改称された。その後清と国号を改めた後金は1644年(順治元年)に明朝の滅亡後の全部の中国を支配し、北京に遷都するが、盛京はその後も副都とされた。1657年には奉天府 (abkai aliyangga fu) が設置され、形式的ながら中央政府に準拠した官制が整備され、現在でもホンタイジ時代に主要部分が建設された瀋陽故宮が残っている。1664年(康熙3年)には承徳県 (erdemu be aliha hiya) が新設され、奉天府の府治とされた。
1740年から漢民族の移動が認められなかった満洲が、19世紀後半以降、ロシア帝国の南下政策に対抗すべく、禁地政策が解禁され開発が急速に推進されると、瀋陽は地域の中心としての役割を担うようになった。1903年には東清鉄道南満洲支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、日露戦争中の1905年、奉天会戦の舞台となる。
1911年(宣統3年)には承徳県が廃止され、県域は奉天府の直轄とされ、1912年(民国元年)、辛亥革命により清朝が滅亡すると、1913年(民国2年)2月に奉天県と改称され、4月に承徳県と改称されたが、河北省に同名の承徳県が存在したことから5月には瀋陽県と改称された。
中華民国
その後は中華民国臨時政府を巡る混乱の中、1923年(民国12年)には奉天市が設置され奉天省の省会とされた。1929年(民国18年)にはそれぞれ瀋陽市、遼寧省と改称されている。その後は張作霖や張学良を代表とする奉天軍閥の拠点となった。しかし鉄道駅を中心とする市街地の大半は南満洲鉄道の付属地とされ、日本が行政権や警察権を掌握していた。
満洲国時期
1931年満洲事変により関東軍に占領され日本の植民地となり、関東軍の土肥原賢二を首班とする奉天市政府が成立した。同年10月15日、趙欣伯が奉天市市長に就任している。1937年(康徳3年)3月26日、市政が公布され統治範囲が確定している。瀋陽県も当初奉天市に位置していたが、1944年(康徳11年)1月1日に分割され奉天市と撫順市に編入された奉天市と再度改称、1945年(民国34年)日本敗戦後、満洲国も日本の支持がなくなって崩壊した。それと共に奉天市政府も自然消滅した。
国共内戦時期
東北光復の後、中華民国政府は1947年に再びに瀋陽と改称し、直轄市とも指定したが、国共内戦の結果1948年11月2日には中国共産党の勢力圏に入った。
中華人民共和国
中華人民共和国が成立した1949年には中央直轄市に昇格、1954年に地級市に改編され遼寧省の省会として、1994年地級市から副省市に昇格して、現在に至る。中華人民共和国初期、以上の歴史原因より、未確認のままの残留邦人が多数住んでいた。2004年に、瀋陽故宮ならびに東陵(清太祖ヌルハチの墓廟)、北陵(清太宗ホンタイジの墓廟)などが「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」というかたちでユネスコ世界遺産に追加登録された。